サザンオールスターズが出演した、広義の「夏フェス」を振り返ります。
サザン初となる夏フェス出演は1979年、江の島ヨットハーバーで行われたJAPAN JAM…ではなく、デビューの翌月に出演した日比谷野外音楽堂のイベント。詳細は不明ですが、実はサザンも野音のステージに立ったことがあるのでした。
翌79年の夏には精力的なイベント出演が続きます。複数会場で同日開催された「80’s JAM OVER JAPAN」では、西武球場での出番を終えたメンバーがヘリコプターで福岡の会場へ移動、1日に2ステージをこなすという強行スケジュールによりダブルヘッダーを務め上げました。
有名な「JAPAN JAM」もこの年。デビュー2年目のサザンはさながら日本代表の立ち位置でビーチ・ボーイズやチープ・トリックなどの洋楽勢と共演を果たしました。メンバーも折に触れてこのイベントを振り返っており、サザンにとって印象深い”夏フェス”であったことが窺えます。このイベントは江の島だけでなく京都でも開催されたのですが、あまり存在を知られておらず、京都新聞がこのような記事を出したこともあります。
さらに24時間テレビのライブ企画にも参加。浅草の劇場でゴダイゴやスペクトラムと共演し、深夜に生中継が行われました。また大阪のライブイベント「JAM JAM SUPER ROCK FESTIVAL」の第1回にも出演。桑田夫妻と親交が深い竹内まりやとの初共演はこのイベントでした。
80年には前年に引き続き「80’s JAM OVER JAPAN」に出演。ダブルヘッダーに凝りたのか、この時は札幌のみの出演でした。さらに「JAPAN JAMⅡ」にも出演。この模様を生中継したNHK FMの番組で解説を担当していたのが、のちにROCK IN JAPAN FESTIVALを立ち上げる渋谷陽一でした。
82年には5つの夏フェスに出演。ザ・ベストテンの生中継も行われた「名古屋城サマージャム'82」、沢田研二との共演を果たした「'82 JAMJAM SUPER ROCK FESTIVAL」、80's JAMからその名を変えた「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. パルサーJAM」、南こうせつ主催の恒例イベント「サマーピクニック」、公式サイトに記載のない「川越音楽祭」。いずれも野外のイベントとなっており、まさに夏フェスという趣きでした。
夏=サザンの図式がすっかり根付いた翌83年も5つのイベントに出演。それぞれが独立したイベントでありつつも、実態としてはサザンと複数アーティストによる対バンツアーのような趣向であったと言えます。名古屋、大阪、埼玉、北海道、福岡で開催され、中でもRCサクセションと共演した「北海道スーパーフェス」はJAPAN JAM江の島と並んでメンバーの記憶に刻まれたイベントとして語られることしばしです。
当時の著名アーティストが一同に介した巨大イベント「ALL TOGETHER NOW」にシークレットゲストとして出演したのが85年。佐野元春との共演で洋楽のカバーや『夕方HOLD ON ME』が披露されました。フォーク、ニューミュージックのお歴々のステージを経て、若手の佐野元春・サザンのステージで締める構成は非常に象徴的です。
翌年からの活動休止を境に夏フェス(に限らず複数アーティストが出演するようなイベント)への参加が極端に減少。80年代、90年代を経てようやく夏フェスに戻ってきたのが2005年。22年ぶりの野外フェス出演と喧伝された「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005」で最終日の大トリを務めました。
06年には「The 夢人島Fes.」を開催。サザンの夏フェス史を振り返るうえでは外せない、サザン主催による野外イベントでした。福山雅治やポルノグラフィティ、ONE OK ROCKといったアミューズ所属アーティストにとどまらず、加山雄三、Mr.Children、GLAY、Dragon Ashといった面々が一同に介するメモリアルなイベントでしたが、継続的なフェスではなく、あくまで一度きりのお祭りとして催されたものでした。
09年には山中湖のフェス「SWEET LOVE SHOWER」に桑田佳祐&SUPER MUSIC TIGERとして出演。サザンのメンバーが集うイベントしては87年の「大里くん祭り」も夏フェスにカウントしたいところですが、あくまでそれぞれのソロ活動による出演でした。それを踏まえた上でこのイベントには桑田・原・松田が一つのバンドに参加しており、かつ多数のサザンナンバーが披露されたことから、”サザンの夏フェス”出演のスピンオフとして触れておきたいイベントです。
さらに時は進み18年、デビュー40周年の節目に2度目となる「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」出演を果たしました。フェスにふさわしく、知名度の高い曲を中心とした全17曲が最終日のトリで披露されたのは記憶に新しいところです。
そして2024年。最後の夏フェスと喧伝されつつ、3度目となる「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に出演。昨今開催されている狭義の"夏フェス"とさほど縁があるとは言えないサザンですが、振り返るとそのような言葉がなかった時代から確かに夏フェスとともに歩んだ歴史があったのです。