南十字に戯れる

サザンオールスターズ&桑田佳祐ライブデータ・セットリストを収集・公開しています

関口和之の活動休止から復帰までのタイムライン

関口さんについて、1991年~94年まで病気療養を理由にサザンの活動を休止していたことは、こんなところを見ている方ならご存知かと思います。ここでは休止から復帰までのタイムラインを可能な範囲で追ってみます。

 

・1991年8月、代官山通信で活動休止を告知

ベースのムクちゃんこと関口和之さんが、ここのところ体調がすぐれず、微熱が続いたり、貧血気味だったりもして、お医者さんに診てもらったところ、ある種の循環器系のトラブルによる症状で、しばらく療養する必要があるとのことです。夏のツアーを行うに当たり、その事について、本人を交えメンバー、スタッフで、何度か話し合いをもちました。やはり、6人全員が揃ってでなければという事で、コンサートの延期もしくは中止も検討されました。関口さん自身もやりたい気持ちはいっぱいで、頑張ってリハーサルを始めてはいたのですが、体の不調だけはどうしようもなく、今無理をするより大事をとってお休みした方がよいのではという声もあり、お休みする事になりました。

(中略)

今後の事も考え、1年程の間、コンサート活動等の体力消耗の激しいものに関して、関口さんはお休みさせていただくことになりますが、日常生活に関しては特に大きな問題はないそうなので、お目にかかる機会もあると思います。皆様には、あわてず騒がずどうか長い目で暖かく見守っていただければ、と思っています。

「代官山通信」34号

 サザンの野外ライブ「THE 音楽祭-1991-」の開催に合わせて告知されました。

当初は「1年程の間」「コンサート活動等の体力消耗の激しいものに関して」休止が予定されていたようですが、病状の問題か、結果的に長期の・ライブ以外の活動に関しても休止となりました。

 

・1992年7月、アーティスト写真から消える

「代官山通信」39号でメンバーの集合写真が表紙を飾りますが、そこに関口さんの姿はなく、5人のみ。誌面でも上記の34号以降は関口さん関連の記事はなく、ライブどころか表舞台から本格的に姿を消すこととなりました。*1

シングル『涙のキッス』『シュラバ★ラ★バンバ』発売に伴う各種プロモーション(写真、テレビ出演)にも姿を見せることはなく、この点がのちに週刊誌に噛みつかれることになるのでした。一方、アルバム『世に万葉の花が咲くなり』歌詞カードには6人の写真が掲載されており、体調の浮き沈みを思わせます。

・同年9月、北京ライブに同行、客席からステージを見る

ムクちゃんが来てくれて、十二日も前のほうから観てて「すごくよかったよ」と言ってくれたのは嬉しかったですね

月刊カドカワ」VOL.10 NO.12

 原坊が北京滞在を記した日記より、関口さんが北京に同行しライブを観覧していたことがわかります。

 

パーティがおこなわれるメディアホテルへと、おんぼろタクシーに乗り移動。(中略)そこには予期していなかったムクちゃんの姿があったのだ。もちろん皆がムクちゃんの登場に大喜びで、歓声が上がっていたほどだ。久々のご対面で少々照れ臭そうにしていたが、相変わらずのムクちゃんスマイルで、皆を安心させていた。旅好きの彼は、昼間皆さんと同じように北京の町を見て廻り名所を尋ねたりした後、コンサートを見ていたのでした。

「代官山通信」40・41号

 打ち上げの歓迎会にも出席。誌面に載っている写真にもお姿が確認できます。

 

・同年秋、週刊誌が食いつく

ベーシストの関口和之が体調不良を理由にコンサートを休業中。十月十四日を皮切りに日本ツアーを行うが、どうも関口は出演しないのでは、とファンの間で心配の声が上がっている。一説によれば、関口はコラムを書いたりテレビ・ラジオの構成などを細々とやっており、そちらの方が性に合っているらしい、とも。

週刊文春」1992年9月3日号「入替えなし?サザンオールスターズ

 主要3都市を周った「THE 音楽祭」、海外公演「北京ライブ」に続き、全国ツアー「歌う日本シリーズ1992~1993」でも引き続き休養するのでは、というゴシップ記事が登場しました。

 

サザンに分裂→解散の噂が囁かれている。ベース担当の関口和之(36歳)が、「リーダーの桑田佳祐と衝突」「造反」の危機というのだ。(中略)

「桑田さんがいうには、関口は『病欠でサザンの活動に参加していないというが、そうじゃない』とのことでした。『実際のところ(衝突は)気持ちの問題としてある。関口は独立したがってるんだ』とおしえてくれました」

週刊現代」1992年9月26日号「解散説に新証言とび出す、サザン“15年目”の破局へ」

 そして解散説まで唱えられ始めます。表向きは休養としているが実態は内部衝突ではないか、というありがちな論旨が、渋谷陽一や自称関係者の証言をもとに展開されました。

 

噂の発端は、九月二十六日に発売されたサザンのニューアルバム「世に万葉の花が咲くなり」のテレビCMやポスターに、六人のメンバーのうちベースの関口和之だけが写っていなかったこと。また最近のテレビ番組にも五人だけで出演している。(中略)

「関口と桑田佳祐が衝突しているらしい。ギャラを比べても、(桑田以外の)他のメンバーには不満があるようだ」

サンデー毎日」1992年10月11日号
「結成14年目のBIG WAVE サザン「近く解散」説の内部事情」

 こちらも同様の記事ですが、後半部分でアミューズ関係者が実名で否定している分ややまとも。

休養に入った時にどの程度世間一般に周知されたのか定かではありませんが、このような記事が出てしまうあたり、それほど大きく報じられることはなかったと推測されます。

 

・同年10月、「歌う日本シリーズ1992~1993」初日公演に出演

ツアー初日、代々木競技場では休養中のムクちゃんが特別参加

サザンオールスターズ パーフェクトデータブック

ツアーも不参加なのでは?という週刊誌報道も飛び出してはいたものの、久しぶりのステージ登壇を果たしました。特別出演とのことなので、一部の曲で演奏に参加したか、もしくは健在をアピールする場が設けられたものと思われます。 

 

・1993年、休養は続く

シングル『エロティカ・セブン』『素敵なバーディ』『クリスマス・ラブ』のプロモーションによる各種露出でも姿を見せることはありません。テレビ出演ではピンチヒッターの根岸孝旨さんがメンバーと並んでトークに登場している番組もあり、なかなか不思議な状態。当初告知されていた一年程度という月日も過ぎており、心配するファンも多かったのではないでしょうか。

 

・1994年12月、桑田佳祐「帰ってきた青山のダンディー」にゲスト出演

桑田佳祐13年ぶりに学園祭に登場。(中略)

青学出身の原由子関口和之もアンコールに飛び入り出演

「別冊代官山通信」

アンコール曲『Ya Ya(あの時代を忘れない)』を3人で歌った模様。この時のものと思われる写真が「代官山通信」52号に掲載されています。健在ぶりを示す機会が増え、期待が高まります。そして…

 

・1994年、AAAのサザンステージで復帰

Act Against AIDS'94、日本武道館にて桑田佳祐小林武史プロデュースのチャリティコンサートを行なう。サザンオールスターズのメンバーも久しぶりに6人揃って参加。

ACTIVITIES - 1994 | サザンオールスターズ Official Site

ゲストではなく、メンバーとして久々にベースを弾く姿にみんな大感激!!

「代官山通信」51号 

AAAのステージでついにベーシストとして復帰することとなりました。

おかえりなさい。その後は御存知の通り、

 

・シングル『マンピーのG★SPOT』&野外ライブで本格復帰

を果たすのでした。

現在に至るまで、全てのサザンオールスターズの活動に参加されており、完全復帰となりました。めでたしめでたし。

関口さんはこの休養期間中にウクレレと出会ったそうで、サザンと並行してウクレリアンとしての活動を本格化させます。ウクレレで臨んだサザンの曲もあり、休養期間中にブラッシュアップした音楽性が結果的にサザンに回帰することになるのでした。

 

  

*1:36号の「1992年今年の抱負」に唯一登場しており、抱負は「健康祈願」